珠洲市の概要
珠洲(すず)市は、日本列島のほぼ中央、日本海に突き出た能登半島の先端に位置し、三方を海に囲まれ、輪島市と鳳珠郡能登町と隣接しています。海沿いには美しい海岸線が続き、恵まれた自然環境と多くの伝統・文化をもちあわせているまちです。市内のほぼ全域で珪藻土(ケイソウ土)が産出され、これを利用した七輪の生産が江戸時代から盛んに行われています。このように珠洲市は、自然や伝統・文化との調和を図りながら、「魅力・活気・個性に満ちた産業文化都市」を目指し、各種施策を積極的に推進しています。
珠洲のあゆみ
珠洲市は、往時から出雲・佐渡・蝦夷(えぞ)を繋ぐ海洋交通の関門として栄え、比較的早期に出雲方面から鉄器文化が伝えられ、開田の営みも促進するなど、古代能登文化は能登半島の突端が発祥であると考えられています。
養老2年(718年)に能登が建国され、当時の珠洲郡の地域の大部分が今の珠洲市となっています。万葉集に見る「珠洲のうみに朝びらきして漕ぎくれば長浜のうらに月照りにけり」は、天平宝宇元年(757年)に大伴家持が能登国主を兼任して当地に入った際に、珠洲湾の景勝を詠んだものとして有名です。
鎌倉時代の珠洲郡には、若倭・日置・草見・大足・余戸の5郷がありましたが、そのうちの余戸郷だけは、現在の市域外に属していました。これらの郷は、天正6年(1578年)に、前田利家が能登一国を領するまで、畠山義統一族によって支配されていました。その後の藩政時代における郡の行政はというと、金沢算用所内に、郡奉行所及改作奉行所を設け、10ヶ村を合わせて「十村組」とし、十村役・肝煎役・山廻り役などの村役人が配され、十村役には恒方三代若山・延武・真頼三代などが任命されていました。当時の住民は、その封建的藩政下において農奴的生活を強いられていました。
明治4年(1871年)の廃藩置県と同時に、十村役を郷長に改め、翌年の大区小区制実施と共に、1郡を3大区(大谷・飯田・松波)に分割し、区会所を設け、区長には藻寄行蔵・池田実・坂本推孝が任命されました。当時の珠洲郡の村数は112ヶ村、戸数は8,243戸でした。
明治11年(1878年)には、郡区町村編成法が布かれ、鳳至・珠洲の2郡の役所を輪島に設けましたが、後に珠洲郡役所を飯田村に分設しました。明治22年(1898年)の市町村制の施行とともに、珠洲郡80ヶ村を1町19ヶ村に統合し、町村に町村長を、大字には区長を民選することになりました。
明治40年(1907年)頃に町村合併を行ない、1町10ヶ村となりましたが、その後合併を繰り返し、昭和29年(1954年)に珠洲市が誕生しました。
現在、珠洲市は、自然や伝統・文化との調和を図りながら「魅力・活気・個性に満ちた産業文化都市」を目指し、各種施策を積極的に推進しています。
珠洲の名前の由来
「スズ」は須須神社の祭神が美穂須須見命(ミホ・ススミノミコト)であったことから、それが地名になったといわれています。続日本紀には、「珠洲」という地名が登場していますが、漢字が「珠洲」になったのは、和銅6年(713年)頃ではないかと考えられています。
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珠洲市立中央図書館 |
| 住所: |
〒927-1214
石川県珠洲市飯田町9-83-2 [地図を見る] |
| 電話番号: |
0768-82-0399 |
| 開館時間: |
火曜日〜金曜日/9:00〜18:00 土曜日・日曜日/9:00〜17:00 |
| 休館日: |
月曜日、祝祭日、12月29日〜1月3日、蔵書点検日 |
| 入館料: |
無料 |
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